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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)359号 判決

原告 会沢正子

右訴訟代理人弁護士 筒井信隆

同 仲田晋

被告 株式会社大興電機製作所

右代表者代表取締役 肥後大介

右訴訟代理人弁護士 神山欣治

右訴訟復代理人弁護士 板倉貫

主文

被告は原告に対し、金一二万六、九九六円及びこれに対する昭和四八年二月三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分しその九を原告の、その一を被告の各負担とする。

事実

第一申立

(原告)

1  被告は原告に対し、金一三〇万〇、九〇三円及びこれに対する昭和四八年二月三日から支払済みに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行の宣言

(被告)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

(原告)

請求原因

1  (当事者)

被告は電話器等の通信機製作を主たる業とする株式会社であり、原告は、昭和四五年一〇月被告会社に入社し、その東京工場第一製造課に勤務するようになった者である。

2  (原告の作業歴・症状の経過)

(一) 昭和四五年一〇月から昭和四七年二月

原告は、入社当時録音課に配属され、カセットテープを一定の長さにハサミで切断する単純動作を反復する作業に従事していた。右作業の際には手が疲れるので両手を交互に使っているうち、作業従事後一年足らずで、まれにではあるが両肩が痛くなった。

(二) 昭和四七年三月から同年五月

第二製造課に配転され留守番電話器の検査をするようになった。これは、できあがった約三・五キロないし四キログラムの電話器を棚から持ち上げて机の上に移し、キズ・汚れの有無、ラベル・ネジの間違い等の外観検査をし、留守番テープの完成の有無を録音したり消したりして調べ、一台の電話器につき八個ついている押しボタンを一台につき計一六回位押す動作をしながら検査した後、棚の上に戻すという作業であった。一日につき三〇〇台位行われ、棚が高いので作業中、机の上に移したり机の上から戻すときには立って行なわねばならなかった。なお、この頃、留守番電話器の配線作業についても、これに従事していたパートタイマーが帰った後残った仕事につき、追加業務を命令されてやっていた。

(三) 昭和四七年五月から同年八月

第一製造課に配転され、T一〇四電話器の検査業務に従事するようになった。これは、ベルトコンベアで流れてくるできあがった電話器を両手で持ち上げ、振動検査機の上に乗せて一定時間機械で振動させた後、持ち上げて机上に移し、キズ・汚れの有無、ラベル・ネジの間違い等を電話器の向きを変えたり裏を返したりして調べ、さらに、電話器を持ち上げ左右に振って電話器の中にネジとかハンダのくずがないかどうかを調べたり、電話器の横についているボリュームのネジとかダイヤルを親指で回してみる検査等の外観・振動及びダイヤル検査をなすものであった。さらに、右電話器の絶縁試験作業をも業務としていた。

そして、同年八月頃から、原告は、前記検査業務によって右肩が痛むようになったが、作業の向きを替えて左手を主に使用するようになって右肩の痛みはほゞ治った。しかし、今度は左肩が痛くなり、動かす度に音がするようになった。そこで原告は、市中の病院に行ったところ、神経痛と診断されたので、被告に対して休暇を要求したが、被告は仕事が忙しいことを理由に休暇を取らせず、逆に仕事量を増大させた。原告は、さらに検査業務からの配置換えを要求したところ、被告はやっとこれを受け容れ、左記の組立(ハンダ付け)業務に原告をまわした。

(四) 昭和四七年八月から同年一〇月

原告は、コンベアで送られてくる未完成のT一〇四電話器の部品をベルトから持ち上げて作業台の上に乗せてハンダ付けをした後、再び持ち上げてコンベア上に乗せる作業をするようになった。

前記の症状は上腕二頭筋・大胸筋・肩甲帯諸筋の過剰使用によるものであるのに、被告は右のごとく、やはり電話器部品の持ち上げを要し腕を宙に浮かせたまゝハンダ付けをする反復作業に原告をつかせたため、症状は悪化し、その後さらに右腕・右肩が痛むようになり同年九月一八日頸腕症候群の診断をされるに至った。

(五) 昭和四七年一〇月三〇日から同年一一月一二日

右のように症状が悪化したため、原告はついにその勤務を欠勤せざるを得なくなった。

(六) 昭和四七年一一月一三日から同年一一月二〇日

原告は、右症状がどうにか快方に向かったので、出社したところ、前工程業務にまわされた。それは、電話器のダイヤル部分が二〇個位入っている紙箱を台車に積んで作業台の横に運び、一つ一つ取り出して台上に置き親指で回してスピードを検査するもので、やはり前記身体部分の過剰使用を要求される作業であって、そのため、四、五日で原告の前記症状を再発させ、再び欠勤せざるを得ない状態にしてしまった。

(七) 昭和四七年一一月二一日から昭和四八年一月八日

右の結果、原告は右期間欠勤した。

(八) 昭和四八年一月一一日以降

原告は、一月一五日まで、午前中は電話器の底板を棚の上に並べる作業、午後は事務員の手伝いをしていたが、同月一六日から商務部業務課に移り、受付事務をやるようになった。受付事務に移ってからは症状はかなり好転した。

3  (業務起因性を裏づける他の事情)

原告と同様に留守番電話器の組立及び検査業務に従事していた日高ひろ並びに藤田操子もそれぞれ昭和四六年一〇月一九日、同月二一日、頸腕症候群の診断を受けている。

右事実からしても、原告の前記疾病は、原告の業務に起因することは明らかである。

4  (被告の責任)

(一) 債務不履行責任

(1) 生産手段を所有せず労働力を売ることによってのみ生活を維持しうる労働者にとって職業病にあわされ生命や健康を害することは生存権にかかわる問題であり、職業病にあわずに人間として生存することは、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」(憲法二五条)ために最低限の前提条件である。従って、労働者との間に、労働過程自体をも具体的現実的に契約範囲の中におく労働契約関係という特殊な法律関係を有する使用者は、労働基準法、労働安全衛生法、同規則等の趣旨に基づいても、その労働者の健康安全に適切な措置を講じ、職業性の疾病ないしその増悪を防止すべき義務を負っている。そして右安全保護義務の存在は、生存権的原理に基づく労働契約関係において、労働者にとって最低限の前提条件であり、使用者の主たる義務の一つであり、労働契約における本質的義務といわねばならない。

しかも一方で企業(使用者)は労働者に対し優越的地位にあり労働形態及び内容に対し支配権を持っており、他方で労働者は企業に従属し命ぜられたまゝの労働に従事する地位にしかない。従って、この労働契約上の安全保護義務は、労働力の取引過程のみを把握するにすぎない雇傭契約上の安全保護義務より質的に高度であり、それは個々の労働者の個人的事情及び不注意をも予測して、不可抗力以外の職業病発生を防止するための万全の措置を講ずべき包括的義務というべきである。

(2) 被告には、右安全保護義務の具体的内容として、原告に対し同種作業を継続して長期間従事させず、例えば、一週間ないし一か月位で異種作業間のローテーションを行う(いづれも単純反復作業であるから不可能ではない)とか、一日当り台数を減少させるとかの措置をとるべきであったのに、そのような措置をとらずに原告を発病させてしまったものである。

少なくとも、被告としては、昭和四七年八月頃原告が肩の痛みを訴えた際には直ちに休暇を認めることはもちろん、その原因究明と治療の措置をとるべきであったにかかわらず、業務多忙を理由に休暇を与えないだけでなく、逆に仕事量を増加させたのは著しい安全保護義務違反というべきである。さらに原告の配置換え要求に対して上腕二頭筋を主に使用するような業務に配置換えしたことも著しい安全保護義務違反である。以上のように初期の段階で休暇を与えたり仕事量を減らしたり正しい配置換えをしておれば、短期間の内に治った可能性は大であるにもかかわらず、被告は右安全保護義務違反の結果、原告の疾病を増悪させ、後記損害を蒙らしめたのである。

(二) 不法行為責任

使用者は、規範的には民法第七〇九条に従い、労働者の生命と健康を侵害してはならない注意義務を有し、その程度は、(一)記載の安全保護義務と同等である。

5  (原告の損害)

(一) 休業補償費

原告は、前記のとおり、その業務に起因する疾病により、昭和四七年一〇月三〇日から同年一一月一二日までの一二日間欠勤して自宅療養せざるを得なくなり、同月二一日から昭和四八年一月八日までの四八日間さらに欠勤せざるを得なくなったのであるが、前者の一二日間については賃金は全く支払われず、後者の四八日間については賃金の六割しか支払われなかった。そして、昭和四七年七月、八月に原告の受けた給与は、それぞれ四万四、六九一円と四万二、五四一円であるから、これを基礎に一日平均賃金を計算すると一、四五四円となる。従って、原告の受けるべき休業補償費は四万五、三六四円となる。

1,454円×(12+48×0.4)=45,364円

このうち、昭和四八年九月一八日から一二月二一日までの三八日間分(九月一八日から一〇月二〇日のうち四日、一〇月二一日から一一月二〇日のうち一三日、一一月二一日から一二月二〇日のうち二一日)の労災保険給付として三万二、五八一円の支払いを受けた。そこで、これを前記金額より控除すると、残額は一万二、七八三円となる。

(二) 通院費

昭和四七年九月一八日から昭和四八年一二月一二日まで月四回の割合で計一三回東大病院へ通院している。自宅から東大病院までの往復電車賃は一回二四〇円であるから、右通院に要した費用は三、一二〇円(240円×13)となる。

(三) 慰謝料

原告は、昭和四九年九月末に至るも通院しており、入院した場合と同様自宅療養で床に臥すことを余儀なくされている。後遺症のおそれがあるのみならず、仕事量の軽減、軽作業への従事等を医者より指示され、思うように従来のような労働ができない。

よって、原告の受けるべき慰謝料は一二五万円が相当である。

(四) 弁護士報酬

少なくとも金三万五、〇〇〇円、

以上合計金一三〇万〇、九〇三円

6 (結論)

よって、原告は被告に対し、損害賠償として金一三〇万〇、九〇三円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四八年二月三日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告)

一  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の(一)のうち、原告主張の期間、原告主張の作業に従事していたことは認める。

同(二)のうち、原告が、その後第二製造課勤務となったことは認めるが、その余の事実は否認する。第二製造課勤務になった時期は昭和四六年三月であり、従来の録音課の解消により課名が変わっただけで勤務に影響はなかった。原告主張の期間は、留守番電話器の配線作業(これは、レールコンベアで徐々に送られてくるプリント基板にそのまゝの状態で綿巻線を半田付けするものであった)に従事していた。

同(三)のうち、原告がT一〇四電話器の絶縁試験作業(ベルトコンベアで送られてきた電話器を手元に引き寄せ試験器によって両手を使ってする絶縁試験)に従事していたことは認めるが、その余の事実は否認する。右作業には電話器ないしはその部品を持ち上げるような仕事は含まれていなかった。また、原告は、昭和四七年九月一八日東大病院に行くまでは仕事が辛いというようなことは何ら被告に告げていない。同年五月から九月の間、日産平均台数が上昇傾向を示しているのは、当初は従業員の不馴れと不良品の頻発のため目標値(日産七七〇台が可能なところ、七〇〇台を目標とした)の約半数だったものが、習熟と不良品の減少により生産量が増加したことによるものであり、作業量の増加があったわけではない。ピッチタイムは三六秒のまゝであった。

同(四)のうち、原告主張の時期にT一〇四電話器の配線作業に従事したこと、頸腕症候群の診断を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。右作業は、右電話器の半製品を引き寄せて半田付けをするにすぎず、電話機を持ち上げる必要はない。また、配置転換は原告の申し出により、直ちに実施したもので、右の半田付け作業は両ひじを脇腹に接する姿勢で行ない、腕を宙に浮かせる状態にはならない。被告において作業数量を指示したことはなく、肩が痛くなるような時は上司に申出て作業量を調節できたはずである。

同(五)の欠勤の事実は認める。

同(六)のうち、原告の出勤期間は一一月一九日までである。その余の事実は争う。

同(七)のうち欠勤期間を否認する。原告が欠勤したのは昭和四七年一一月二〇日から昭和四八年一月九日までである。

同(八)のうち、原告が商務部業務課に移り受付事務をやるようになったことは認める。

3 請求原因3の事実は認める。

しかしながら、日高ひろ・藤田操子と原告の作業とは、異なるから、右事実は本件における判断資料とはならない。

頸腕症候群というのは、いまだ医学的に解明されておらず、疾病かどうかも明らかでない。

4 同4のうち、被告に安全義務があることは認め、その余は争う。

5 同5の(一)のうち、原告の欠勤期間に対する認否は前記のとおりであり、原告主張のとおり原告が労災保険により休業補償を受けたこと、昭和四七年七月、八月の原告の給与が原告の主張通りであることは認め、その余の事実は否認する。被告は労働組合との協定で、原告の如き月給日給者の欠勤の場合でも本給、職能給および暫定給の合計の六割を支払うことになっていて、現に支払済である。

同(二)は不知。

同(三)のうち、入院した場合と同様自宅療養で床に臥していることを余儀なくされているとする点を否認し、その余の事実は不知。原告は欠勤期間中、日中街頭にしばしば出歩いたり夜遅く帰寮したり、また朝早く被告会社正門前でビラ配布をしたことさえある。

同(四)は争う。

二  抗弁(請求原因4(一)に対し)

仮に、原告がその主張の疾病に罹り、それが同人の業務に起因するとしても、被告としては、安全配慮義務をすべて尽しており、原告がその疾病を患ったことにつき、責に帰すべき事由がない。

(原告)

抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  原告の作業歴について

原告が、昭和四五年一〇月から同四七年二月まで被告会社音響事業部録音課に配属されてカセット・テープを一定の長さにハサミで切断する作業に従事し、同年三月から同年五月まで留守番電話器の配線作業に従事し、同年五月から同年八月までT一〇四電話器の絶縁試験作業に従事し、同年八月から同年一〇月までT一〇四電話器の配線作業に従事し、昭和四八年一月一六日から被告会社商務部業務課に転属して受付事務に従事していること、は当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

すなわち、前記各期間の原告が従事した作業は主たる業務であって、原告がその他にも附属の作業をしたこと、前記各作業の内容は、テープ切断作業は前記のとおりであり、留守番電話器の配線作業は、手送りのレールコンベア上に車輪の付いた配線台(作業台兼用)上に予め装置されたプリント基板等に綿巻線の一端を半田鏝で半田付する作業であり、製品が作業台に予めとりつけてあるので、これを持ち上げる必要はなく、半田鏝を使用する際は、両肘を脇腹に接する姿勢で行うものとされているから、このとおり作業すれば腕を宙に浮かせる状態にはならない。右作業は一人一日一〇一五ヶ所の半田付をするのがローテーションとされている。T一〇四電話器の絶縁試験作業は、完成された電話器(重量約一・九キログラム)をベルトコンベアより取りあげて、座席左側の振動試験器に三、四台まとめて乗せて、約四〇秒間の振動試験の後、電話器を持ち上げて作業台に移すが、その際電話器を左右に振って半田くず等の異物の有無を確認する。作業台上に電話器を置くと台上の試験用コネクターに、電話器のコネクターを挿入し、左手で電話器を裏返して底板締付ネジ四ヶ所にテスター棒を接触させて絶縁抵抗をチェックし、異状がなければコネクターを引き抜き、電話器をベルト上に戻す。右コネクターの挿入時には格別力はいらず、原告はベルトコンベアより電話器を取りあげる際と、戻す際はいずれも左手を使用して作業していた。T一〇四電話器のフレキ基板配線作業は、回路網を右手で取り配線台に乗せ、フレキシプル基板をその上に重ね、一〇ヶ所の端子を基板のラウンドに半田付し(この完成品の重量約三〇〇グラム)、これを手で持ち上げてベルト上に戻す。以上何れの作業も座り仕事である。被告会社は、昭和四六年三月二一日に音響事業部を解散し、同録音課は、被告会社東京工場第二製造課に編成替えになったのに伴い、原告も製造課勤務となったが、その前後作業内容の変更はない。原告がテープ切断作業から留守番電話器の配線作業に配転になったのは、被告会社が当時テープ接着作業(切断作業はその一部)をタイシン電気に外注することにして、同社自らはその作業を廃止したことに伴なうもので、第二製造課従業員全員を留守番電話部門へ配属したもので、一人原告のみを配属させたものではない。T一〇四電話器の作業へ配属したわけは、当時東京工場では留守番電話器の製造をやめ、第一、第二製造課を統合して製造課とし、同課がT一〇四電話器のベルトライン作業を担当したことに伴なう措置で、原告一人を配転したものではなく、絶縁試験作業からフレキ基板配線作業への配転は、原告の希望により、上肢に対する負担が軽い部門へ配置したものである。原告は前記作業のほかに、昭和四七年一一月一三日から同月二〇日まで、T一〇四のベルトラインの前工程のダイヤル検査作業に従事した。右作業は、重量約二五〇グラムのダイヤルを机上に取り上げて、右手親指でダイヤル○を回してスピード等を検査するものであるが、原告が右上腕二頭筋腱炎の診断を受けてきたので、一人作業のところ、パートタイマーを一人補助につけて、二人で一人分の作業をさせたこと。原告は昭和四七年三月から同年五月の間、主たる業務である留守番電話器の配線作業のかたわら、時折、同電話器の検査業務に従事した。右作業は完成した留守番電話器を棚から持ち上げて机上に移し、外観の傷、汚れの有無を一回裏返して検査し、留守番テープの完成の適否を、一台当り八個の押ボタンを操作し、音楽が流れ出すか、聞き込みが出来るかを検査し、異状がなければ重量約三・五キログラムの留守番電話器を棚の上へ戻す。椅子から立上って電話器を持って来て、机上に置き座って作業をして又立上って電話器を棚に戻す手順であった。(ただし、右検査業務が右期間中の原告の主たる業務であったとの原告の主張は、これに副う原告本人尋問の結果の一部は前記各証拠に照らして信用せず、≪証拠省略≫もこれを証するに足らず、他にその主張を認めるに足る証拠がないから、これを採用しない)。

三  原告の病状・治療経過

≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

(1)  原告は、昭和四七年八月頃、左腕全体に異常な疲労を感じはじめ、同月下旬頃には左肘付近にずきんずきんとする疼痛を感じるようになったため、荒川外科病院および坂口病院へ通院し、両病院で、冷房による冷えすぎと筋肉の使いすぎによる神経痛と診断され、注射と赤外線照射の治療を受けたが痛みはとれなかった。

(2)  原告は、昭和四七年九月一八日から同四八年三月一五日まで東大病院整形外科へ通院した。この間、当初は左肩の痛みを主訴とし、消炎鎮痛剤の内服と左肩局所注射により症状が軽快した。その後作業方法の変更のため右肩に痛みを感じるようになり、昭和四七年一〇月一九日から再度通院し、前同様の治療を受けたが効果がなく、同年一〇月二六日「右上腕二頭筋腱炎の疑い」の診断を受け、医師から休養をすすめられ、同月三〇日から一一月一〇日まで欠勤して休養し、右休養により痛みが軽快し、同月九日「右上腕二頭筋腱炎」の診断を受け、職場復帰したが、その直後から再び右肩の痛みが増強し、投薬による治療も効果がなく、医師のすすめで再度同年一一月二〇日から同四八年一月九日まで欠勤して休養し、その間の同四七年一一月三〇日「頸肩腕症候群」の診断を受けた。右休養によって右肩痛は軽快し、再度職場復帰し、事務補助等の雑務に従事した後、前記のとおり同年一月一六日から受付事務に従事するようになり、症状はかなり好転したが、その後も依然として右肩の痛みと腕のだるさが残り、同年三月七日「右頸肩腕症候群」の診断を受けた。

(3)  原告は、川崎幸病院へ転院し、昭和四九年四月一五日から同年八月一二日まで同病院へ通院し、右肩の痛みと腕のだるさを主訴として治療を受け、同年七月一五日「頸腕症候群」の診断を受け、医師のすすめで約一週間欠勤して休養し、右休養により症状は軽快し、同年八月一二日診療を受けた際にも引続き調子がよく、さほど痛みも感じなくなったので、同日を最後に医者通いを止めた。

(4)  原告は、現在日常生活に支障なく、冬期および夏期の冷房が効きすぎた時に、右肩に軽い痛みを感ずるが医者へ行く程でもない程度に回復している。

四  業務起因性

昭和三〇年頃からキーパンチャー等を中心に腱、腱鞘の障害が発生し、労働省では、昭和三九年九月一六日「キーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第一〇八五号)を出して職業病認定の問題を処理していたが、その後、他の職種にも同種の障害が拡大し、症状も手指だけでなく頸肩にも及ぶことが明らかとなり、労働省労働基準局長は、昭和四四年一〇月二九日付通達(基発第七二三号)「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」を発し、次いで昭和五〇年二月五日付通達(基発第五九号)「頸肩腕障害に関する業務上外認定基準について」を発し、これをもって、その認定基準としていることは当裁判所に顕著な事実である。

右通達によれば、頸肩腕症候群の認定の要件としては、(1)作業態様が打鍵その他上肢を保持して行う作業を主とする業務で、(2)作業従事期間が相当期間(六ヵ月程度以上)継続し、(3)業務量が他の者より相対的に過重かまたは業務量に大きな波があること。(4)症状としては、所定部位にこり、しびれ、痛み等相当強度の病訴があり、そこに病的圧痛等の他覚的所見が認められるような、いわゆる頸肩腕症候群の症状を呈すること。(5)それらが、鑑別診断によっても、素因や基礎疾病等当該業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ(6)業務の継続による症状の持続又は増悪の傾向のあること。なお、三ヵ月程度適切な療養を行っても症状が消退しない場合は、他の疾病を疑う必要がある。また、症状は、専門医の所見を主に判断すること。業務上の認定にあたっては、右の業務負担からみて、その発症が医学常識上業務に基因するものと認められるものであること、というのである。

当裁判所も、前示原告の疾病の業務基因性を判断するには、右通達の基準を採るのが相当と考える。

≪証拠省略≫によれば、原告の症状は頸肩腕症候群であり、原告の作業歴等からみて、業務起因性は否定できないとされている。

そこで、右所見を検討するに、関医師の品川労働基準監督署長宛の右意見書によれば「原告の業務内容は、上肢、肩甲帯に著しい負荷が加わるもので、とくに上腕二頭筋、大肢筋、肩甲帯諸筋は過使用されると考えられるところ、原告の訴える自覚症状や他覚的所見もこれに一致していると思われ、また作業の疎密に関連して症状も軽快、増悪の傾向をみる。業務以外にこれに匹敵する身体的活動をしておらず、本症状をひきおこすと思われる基礎疾患があると考えにくい。以上の点より本症は業務と関連すると考える。」というのであり、前記通達の基準にほぼ適合するものと認められる。なお、業務員の相対的過重とあるのは、作業量と個体の体力とのアンバランスから本症が発生したと認められればそれで足りる趣旨と解せられるところ、≪証拠省略≫によれば、原告の筋肉は同年代の女性と比較して検査の結果弱いことはないが、もともと個体によってストレスに対する反応は異なるのであって、右に過使用というのはその個体についてみれば過度というのであって、一般平均人から見れば充分耐え得る程度であっても、本人にとっては過度となりうるというのであり、本症の症状は長期に持続するもので、作業量を極端に減らすと軽くなり、表面的な症状は消えたかに見えるが、本症には心因的要素も少なからずあることも手伝って、通常人と同程度あるいは通常人より少な目くらいの作業量を与えるとすぐに症状が再発することがある、というのであるから、これらの証拠とさきに認定の二、(原告の作業歴)三、(原告の症状、治療経過)を綜合して考えれば、原告の本件症状はその業務に起因するものと認めるのが相当である。

五  被告の責任

被告会社が、使用者として、労働法、労働安全衛生規則等の趣旨に基づき、その被用者の健康安全に適切な措置を講じ、職業性の疾病の発生ないしその増悪を防止すべき安全配慮義務を負うことは、被告においても自認するところであるが、労働基準法、労働者災害補償保険法等の法意にかんがみ、労働者の疾病につき業務起因性が肯定される以上、特段の事情がない限り、使用者側に右安全配慮義務の不遵守があったものと推定され、これを争う使用者の方で特段の事情を立証する責任を負うものと解すべきである。

≪証拠省略≫によれば、被告会社は毎年二回の定期健康診断を実施して来たほか、週休二日制を採用し、週四〇時間労働とし、休憩時間を午前一〇時から七分間、一二時から四五分間、午後三時から七分間それぞれ設ける等、その職員の健康管理にかなり慎重な配慮をつくして来た事実が認められるけれども、その業務に起因して原告に前示疾病が発生していることからみれば、右の事実のみでは末だ被告会社がベルトコンベア作業に従事する個々の従業員に対し十全の職業病予防対策を講じて来たとは言い難いし、後記のとおり、被告会社としては、原告発病後、原告の症状につき誠実に対処したことは認められるが、これをもってしても発病及び増悪の予防に十全の措置を尽したとは未だいささか認め難い。他に被告会社の免責を首肯し得べき特段の事情を認めるに足る証拠はない。そうすれば、被告会社は原告が本件疾病によって受けた損害を賠償すべき責任がある。

なお原告は、昭和四七年八月頃肩の痛みを訴えた際、業務多忙を理由に被告会社が休暇を与えないだけでなく、逆に仕事量を増加させたため原告の症状を増悪した旨主張するが、これに副う原告本人尋問の結果の一部は、≪証拠省略≫に照らして措信し難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

六  原告の損害

(一)  休業損害

原告が、昭和四七年一〇月三〇日から同年一一月一二日までと同月二〇日から昭和四八年一月九日まで欠勤したことは前判示のとおりであるが、原告は前者の欠勤期間中は全く賃金の支払を受けておらず、後者の欠勤期間中は賃金の六割しか支払を受けていない、と主張する。

≪証拠省略≫によると、被告会社の就業規則は、労働者が労災保険の給付を受けることとなった場合、給付額がその期間中に勤務した時に受ける賃金額に満たないときはその差額を会社が補償することとし、労働組合との協定で、月給日給者(原告は月給日給者である)の欠勤の場合には、本給・職能給および暫定給の合計の六割を支払うこととし、給与規則で、日給は月給を二五で除して決するものとし、給与計算締切期間は前月二一日から当月二〇日までとし、当月二八日払いとしていること、従って原告の欠勤期間中の支給実績は、一一月分が欠勤一三日で欠勤による勤怠控除九、〇四六円、一二月分が欠勤二一日で勤怠控除一万四、六一三円、一月分が欠勤一一日で勤怠控除七、六五四円がそれぞれ差引かれて支給されていることが認められる。

右各欠勤は、前示認定の事実に照らせば、本件疾病による欠勤と認められるから、以上の事実によれば、原告の欠勤期間中、給与の六割は被告会社よりすでに支給済であることが認められ、原告が受くべき休業損害は、原告が正常な業務をした時に受ける金額を超えることはないから、右の一一月分から一月分までの勤怠控除の合計三万一、三一三円の補償を受ければ十分である(原告が本訴で請求する休業補償の始期は一〇月三〇日であるから、前記のとおり被告会社の給与計算期間は前月二一日から始まるから、一一月分給与の計算期間に含まれる)。

ところで、原告が労災保険の休業補償金として、昭和四七年九月一八日から同年一二月二一日までの三八日分として金三万二、五八一円の支払を受け、その内訳が(イ)九月一八日から一〇月二〇日のうち四日、一〇月二一日から一一月二〇日のうち一三日、一一月二一日から一二月二〇日のうち二一日であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、原告は一〇月二一日から一一月二〇日までの間に、一〇月二五日、二六日、三〇、三一日、一一月一、二日、六ないし一〇日、一六日、二〇日の合計一三日欠勤していることが認められる。右事実によれば、原告が請求する休業損害のうち、労災給付と重複しないのは、前記(イ)の四日と(ロ)の一三日中の二日(一〇月二五、二六日)とであることが明らかであるから、右の六日分の労災給付五、一四四円を差引くと、金二万七、四三七円となり、これが前記勤怠控除相当額から差引く労災給付額となる。

よって、原告が受くべき休業損害は金三、八七六円となる。

(二)  通院費

≪証拠省略≫によれば、原告は、東大病院へ合計一三回通院し、右通院には一回二四〇円の電車賃を費したことが認められ、右事実によれば、東大病院への通院費は金三、一二〇円となる。

(三)  慰藉料

原告は、頸腕症候群の治療のため、昭和四九年九月末に至るも通院しており、入院した場合と同様自宅療養で床に臥すことを余儀なくされているし、後遺症のおそれがあるのみならず、仕事量の軽減、軽作業への従事等を医者より指示され思うように従来のような労働ができないことにより精神的苦痛を感じていると主張するところ、前記のとおり原告は昭和四九年八月一二日をもって医者通いを止めており、現在日常生活に支障のない程度に回復しているものと認められるほか、≪証拠省略≫によると、原告の症状は最も程度の悪い時でも、布団の上げおろしや一定量以上の重量物を保持した場合や職場に行って仕事をした場合に痛む程度であって、決してはしが取れないとか首が回らないとかという日常生活ができない程の痛みではなく、むしろ日常生活で起る肩凝りに似た程度のものであることが認められ、≪証拠判断省略≫、右事実は≪証拠省略≫によって、原告が欠勤中の昭和四七年一一月二九日、一二月四日の両日被告会社の門前でビラ配りをしていたことが認められることによっても傍証される。

のみならず、≪証拠省略≫を総合すると、次のとおり認められる。被告会社は、原告が昭和四七年八月頃荒川外科病院および坂口病院で診断を受けた後仕事の変更を求めた際は、僅か一日後に直ちにT一〇四電話器の配線作業に変更し(被告会社では労働組合との協定で同種業務間の配転については、労働組合へ事前に連絡することになっているから、即日配線は出来兼ねる)、また、一一月一三日の欠勤明け後の原告に対しては軽作業であるダイヤル検査の仕事を与え、しかもパートタイマー一名を補助につけて仕事量を半分にして原告の負担の軽減を図った。さらに、一月一〇日の欠勤明け後は暫時事務補助の業務を与えた後一月一六日付で商務部業務課へ配転し、受付事務(事務職)に従事させ(前記の認定により製造組立工の原告を事務職に職種変更するには事前に労働組合の同意が必要とされているので、右の配転は時機を失したものとはいえない)、来客の応待、タイムカードの整理、郵便物の差出し等の仕事を与えている。なお、郵便物を局まで運搬する際も、原告の疾病を慮り、重量物(一個につき二キログラム以内、全部で六キログラム足らず)のあるときは、同僚の飯塚正子を付添わせ、同女に重量物を持たせる等原告の症状を考慮して注意深く誠実に対処している。以上の事実が認められる。

また、前判示のとおり、基礎疾患がなく局部の痛みのみがあるという本件の如き疾病では、患者自からがその痛みを訴えなければ、他からはその苦痛を窺い知ることは出来ないものであるところ、原告はT一〇四電話器の配線作業に従事するようになってから東大病院へ通いはじめる迄の間は、会社の職制に対し仕事が辛いと訴えるとか、自己の症状を報告するとかの手段を講じることなく時日を経過し、東大病院へ通院しはじめた後も、最初に医師から休養をすすめられた際にもその事実を会社に申告しないでいたこと等により、自から症状増悪の防止のために適切、十分の措置に出ていないことが看取されるから、その最も苦痛の激しかった時期の痛みは著しいものがあったとしても、その責任の全てを被告会社だけに負わせることは妥当でなく、症状の増悪防止に適切、十分の措置をとらなかった原告にも一半の責任がある。後遺症の点については、≪証拠省略≫によれば、原告の頸肩腕症候群は完治すれば再発はないものと認められるところ、前判示のとおり原告には十分に完治の可能性が認められるので、慰藉料の算定につき後遺症のおそれあることを勘案する必要はないものと認める。

以上の事実をすべて総合すると、本件慰藉料としては金一〇万円が相当である。

(四)  弁護士費用

上来認定の事実に照らせば、被告に負担させるべき弁護料は金二万円を相当と認める。

七  結論

以上によれば、被告は原告に対し金一二万六、九九六円およびこれに対する本訴状送達の翌日であることが記録上明白な昭和四八年二月三日から右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきである。

よって原告の本訴請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決した。

(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 渡辺雅文 裁判官金馬健二は、職務代行終了のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 藤井俊彦)

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